Ça y est・ぼちぼち記録

フランス留学終盤に始めました。フランスについてが主でしたが、帰国後は好きなように書いています。

フランスを離れた今

なんとなんと、気がつけば年号が変わり、気がつけば3月を手前にしております。

フランスから離れて、7ヶ月が経ちました・・・

あんなに慣れ親しんだフランス語からどんどん遠ざかって、情けない気分。

就活とかバイトとか、一切フランスと関係ないものに埋め尽くされる日々。自ら触れに行きなさい、と思いますでしょ。そう簡単には行かないのです。

就活失敗したら、フランス語翻訳家になり、フランス語講師をします。そして、アンスティチュでのポストを睨みつつ、フランス語系の求人を漁り、傍で半分趣味のデザイナーとして副業をします。なんちゃって。

ええ、でもそんな代替案を持ってるのは悪くないでしょう。わたしは頑張りますが、最終、運命に身を任せます。全ては縁と運で成り立ってると考えているので。。

とはいえ、就活という枠組みに囚われたくない自分と、囚われている自分とが、戦っています。人と違うものばかり追いたくなる自分がいる反面、人を追っている自分がいる。

 

気づいたんです。デザインがしたい、自分が生み出したものを世に出したい。多くの人目に晒したい。そうやって考えて、フランス留学の頃から秋頃までデザインをやることを考えていたけど、肝心の、「何を作りたいか」の答えが出ていないこと。

 

事務所でしごかれていた頃、わたしは何でも屋さんのようにただただ言われた指示をこなすことで精一杯で、この自分の作品が誰をどのようにどうやって動かすかなんて考えてる余裕はない。ましてや自分らしさなんて一ミリも出せない。しかも、わたしの「なんでダメなの?」に対する答えが返って来なくて、ストレスが溜まるばかり、。

こんな画風で描いて、ってちゃっかり参考画見せて指定されるイラストなんて、ちっともクリエイティブじゃない、こんなの機械も同然。

 

そんな偉そうなことを思っていたけど、

「何を作りたいんや」

って聞かれた時、わからなかった。

 

作りたい一心で、将来的に何を作る人になりたいのか、なんて考えてなかった。でも振り返ってみれば、なんでも作りますマンでいいと思ってた。本当に、手を動かして、地道な作業を繰り返して、作品を作るっていうのも私は好きだから、正直にいえば作ることができればなんでもいい。今でもそれは変わらない。

でも、やっぱり自分らしいものが作りたい。それって結局、組織の中で働いたり、お客さんのニーズに答えながらやるには、限界があるのかなってことを知った。自分らしさ、好みを押し殺してやらざるを得ない。だから、実際に手を動かすデザイナーとして就職することからは希望が遠ざかった。それは副業か趣味でいいやって。

自分の世界観を出し切ったデザインと、商売にしているデザインが一致しているデザイナーって、本当にごくわずかなんだろうな、と知った。。

 

 

私には、尊敬するグラフィックデザイナーがいる。

Takao Fujiokaさん。彼はデザインを専門的に勉強し、デザイン事務所か代理店で社畜のように働いて、仕事の意義や目標を見失っていた。旅に出たりして模索しているうちに、もともと好きだったJAZZに着目して、JAZZに関するアートワークのプロになった。JAZZをもっと広められるように、関西でやってるJAZZライブの情報サイトとか、毎月の無料のJAZZ情報誌の製作、国内外のアーティストのライブ運営、CDジャケットデザイン、など、JAZZの世界で、アーティストの域を超えて、活躍している。今では生きがいや目標を失うことはないらしい。マジでかっこいい。最高にかっこいい!!

 

私にも、そうやってまっすぐに、全力をかけて愛せるコンテンツがあればなあ。

それが、フランスであればいいなぁ。

フランスをもっと好きになる人、真のフランスを知る人を増やしたいな。

ジャポニスム、が流行して、年々日本が好きなフランス人は増えてるけど、それって独特。日本にはそんな、オタッキーなフランス好きはいないもんな。私ぐらいかな。

自称フランスオタクなんですけど、最近は波に飲まれて、弱っちいなあ。

でも、普通に考えて、フランスオタクって、ただのフランスかぶれ、きもいわ。

だって、会話にフランス語混じったりさ、いちいち「こういうときフランス人はな」「フランスではこうよな」とか言ったら友達いなくなりそう。

別に、こんなこと書くつもりではなかったのに、どんどん話題が脱線してしまいました。でも、フランスっていうテーマに帰ってきたので、許してください。

私はフランスのルーズさ、人の冷たさ、融通の利かなさが大嫌いですが、正直さ、あたたかさ、芸術への受容性、そんなところが大好きです。