Ça y est・ぼちぼち記録

フランス留学終盤に始めました。フランスについてが主でしたが、帰国後は好きなように書いています。

純粋無垢な生き物

 

私が家族についての情報をネット上で公開することは滅多にないけど、少し話してみたくなったので、内緒で話します。おうち時間のうちの数分を、この記事に当ててくださる方々に、感謝。少しセンシティブな内容に触れていますが、率直な考え。

 

私の弟は、もうすぐ17歳になります。重度の知的障害を持っていて、もちろん、普通の17歳とは全く違います。最近ようやく背が伸びてきて、私に追いつきそうで驚いているほど、体の成長も遅めでした。顔は幼いので、小学校低学年のような雰囲気で、家族の私たちは非常に可愛がっています。歩いたり、ご飯を食べたりは問題なくできて、健康なのですが、歩き方や癖が特徴的です。知能が幼いので、身の回りのことは全て母が世話をしています。会話などはできないに等しいです。でも、独自の言葉を発したり、いくつか知ってる言葉を繰り返して、それなりのコミュニケーションを取ります。機嫌が良い時はすごく楽しく遊んでいますが、機嫌がわるいと信じられないくらい大きな声を出したり、母や私を叩いたりしてしまいます。時々外出先でも叫んだりもします。

弟を連れて歩くと、変わった動きをしたり、独自の単語を発したりするので、注目を浴びます。手を繋いで歩いているのも、背丈が大きくなってきたので変です。もちろん、周りが驚くのも、変だとおもうのも、当たり前のことだと思います。人目の多い場所で、彼を連れ回すことが少しやりにくいのは、事実です。電車の中や、街中で、少し変わった風貌の人を見かけると、みんな振り返ってジロジロ見ますよね。特に、子供なんかは容赦ないです。それは仕方のないことなのですが、毎回少し残念に思ってしまいます。

家族に障害児がいたり、一部の良識ある人しか、ダイバーシティを理解できないのか、この世の中は。

ただ、私はそれに対しての怒りよりも、残念だなあ、分かり合えないね、っていう気持ちの方が大きいです。経験がない限り、いくら教えられても、障害のある人やその家族の感覚をどうしても知り得ないと思うからです。心のどこかで偏見を抱いてしまうのも、分かりきったことです。私だって、弟がいたからといって、全ての偏見をとり払えているかといわれれば、声を大にして肯定する自信がないぐらいです。初めての兄弟が障害児で、一般の兄弟を持ったことがない私は、その世界をよく見てきました。それを受け入れなければいけない環境にいました。もし私が一人っ子だったり、健常な兄弟しかいなかったとしたら、私は一体どんな人間だったのかなと考えると、少し恐ろしいです。

だから、ちょっと矛盾に聞こえるかもしれないけど、障害に対して態度がわるい人に対して否定的に思ったり、その人を悪く思うことはほとんどありません。だけど、少しずつこういう生の声を聞いて、理解が広がる人がいたらいいな。

 

最近、コロナウイルス の影響で外出自粛になり、家にいることが増えたので、時々2人で散歩に出かけることがあります。うちの周りは山の上の住宅地で、人通りは少なく、自然豊かで散歩にぴったり。弟が私と2人きりで歩くことはそう多くないので、母といる時よりも、頑張って歩いてくれます。坂道も、機嫌よく彼独自の単語を言いながら歩いていました。私が何か話しかけたら、返事してくれたり、してくれなかったり。

一体彼の目には何が見えているんだろう、って思いながら、見つめていました。一つだけわかっているのは、彼の中に偽りや悪意、恥、野望が一切ないということ。彼は与えられた環境で、降ってくる感情に素直に生きています。楽しそうな姿は、彼が全身で楽しさを感じている証拠。彼は生まれたときから死んでしまうまでの一生、変わらずに純粋無垢の象徴だってことです。彼だけは、私を裏切らないだろう。これからも愛してやろう。

希少価値のある、芸術作品のような、そんな存在。

まさに世界に一つだけの生き物が、身近に存在してくれて、こうして私を癒してくれたり、粋に生きることを考えさせてくれる。この感情は、誰とも分かち合えないかもしれない、でもだからこそ、

なんだか、得をした気分になったのでした。